海(うみ)nanimositeinai’s blog

                             父は私を「素直な子」と言う呪縛で、ひとに歯向かわない女性に育てました。私は猿夫と結婚して「あぁ この人と結婚して良かった♪」と思った事は 且て今まで一度たりともありません。現在は精神疾患を持つアラフォーの長女と 出戻り息子との三人暮らしです。夫の名言【何もしていない】

小学生連続殺傷事件「少年」神戸からの報告

小学生連続殺傷事件「少年」神戸からの報告〈毎日新聞大阪本社 1997年発行〉

 

 

この本は朝日新聞社発行の「暗い森」と少し違う方向から

事件を見ていました

・被害者淳くんの通夜の際、少年Aの母親が喪服の帯をお母さまに貸した事

・A母親は香典集めを手伝うなどこまめに葬儀場で動いた事

地域密着型の取材でした

 

そして

他にも冷酷無比な事件は起きていたのに

この事件だけが異常なまでに全国の関心を集めたのは

普通の家庭の子供が残虐な殺人事件を起こす

決して「対岸の火事」ではない、と一般人が感じ取ったからではないか?

とされています

 

「おれら子どもは人を殺しても刑務所に行かんでもええんやろ」

教師の一人が記憶の彼方から思い出した A少年の言葉

 

警察関係者は

「親は放任だった。家の中を見ると、表向きの顔と内向きの顔があったようだ」と話す

 

少年は「カッとなると、自分でも何がなんだかわけが分からなくなる。何をしてしまうか分からない」と仲間に繰り返し言っている。けんかになって殴り出すと止まらない、そんな状態が小学校高学年から始まった。当時、同級生は少年について「きれたら怖い」「(けんかで)あいつに勝てるものはいない」と教師に漏らしている。

 

この本ではもちろん少年法にも触れていましたが

投書欄に設けたみんなの声を、ページ数多く掲載されているのが特徴でした

「十四歳の声」

多数 寄せられていましたが、同じ年の子としては考えられない趣旨の意見が多く

勉強を強要される事への不満や、いじめや体罰など学校に理由があったのではないか?

の声もありました

 

親の世代の声からは

少年は誰ひとり、信用できる人間がいなかったのでは?

大人(教師、親、地域の人たち)が視線を少年まで下げなくては、と思う

 

教師の声からは

子どもたちにどう話していいのか考える材料が少なく、対応に苦しんでいる

親はしつけまで学校に押し付けようとしている

同僚と「うちの学校でも起きる可能性あるな」と話し合った

 

報道部の一人が

「私がより深刻に思うのは、弱い物いじめや小動物虐待などの異常行動で

少年がSOSを発しているのに、救いの手を差し伸べられなかったことだ。

特に中学校では、さまざまな問題行動を認識しながら、なぜ家族とも緊密な連携をとり、もっと真正面から向き合えなかったのか」

と書き記していました

 

この本の発行は1997年です

二年後の1999年に発行された「少年A この子を生んで・・」を読めば、きっと、

ああ こんな両親だったから学校側も手を差し伸べられなかったんだ

と気づいたことでしょう

 

「少年A この子を生んで」母親の手記

Aには『直観像素質』の力があったことも、事件後初めて知りました。

あの子も自分なりに苦しんでいたのでしょう。

でも、だからといって、人を平気で殺せるのか?

こうも言ったそうです。

「亡くなった人は気の毒。可哀そうだから、(自分の代わりに)親に慰謝料としてお金を被害者に支払ってほしい」

自分が被害者の方々の命を奪っておいて、他人事のように「気の毒」「可哀そう」も何もありません。なんという言いぐさでしょうか。

精神鑑定の結果、精神や脳に異常はない。

あの子は一体、何者なのでしょうか?

一体、何に問題があったのでしょうか?

 

私たち親は未熟で、Aと確かな絆が結べず、理解してやることができなかった。

そして結局、私は母親としてあの子に何もしてやれなかった。

これから何をしてやれるのでしょうか?

 

お母さん、してあげられるコトありますよ

二億の賠償金を支払ってあげることです