小学生連続殺傷事件「少年」神戸からの報告〈毎日新聞大阪本社 1997年発行〉
この本は朝日新聞社発行の「暗い森」と少し違う方向から
事件を見ていました
・被害者淳くんの通夜の際、少年Aの母親が喪服の帯をお母さまに貸した事
・A母親は香典集めを手伝うなどこまめに葬儀場で動いた事
地域密着型の取材でした
そして
他にも冷酷無比な事件は起きていたのに
この事件だけが異常なまでに全国の関心を集めたのは
普通の家庭の子供が残虐な殺人事件を起こす
決して「対岸の火事」ではない、と一般人が感じ取ったからではないか?
とされています
「おれら子どもは人を殺しても刑務所に行かんでもええんやろ」
教師の一人が記憶の彼方から思い出した A少年の言葉
警察関係者は
「親は放任だった。家の中を見ると、表向きの顔と内向きの顔があったようだ」と話す
少年は「カッとなると、自分でも何がなんだかわけが分からなくなる。何をしてしまうか分からない」と仲間に繰り返し言っている。けんかになって殴り出すと止まらない、そんな状態が小学校高学年から始まった。当時、同級生は少年について「きれたら怖い」「(けんかで)あいつに勝てるものはいない」と教師に漏らしている。
この本ではもちろん少年法にも触れていましたが
投書欄に設けたみんなの声を、ページ数多く掲載されているのが特徴でした
「十四歳の声」
多数 寄せられていましたが、同じ年の子としては考えられない趣旨の意見が多く
勉強を強要される事への不満や、いじめや体罰など学校に理由があったのではないか?
の声もありました
親の世代の声からは
少年は誰ひとり、信用できる人間がいなかったのでは?
大人(教師、親、地域の人たち)が視線を少年まで下げなくては、と思う
教師の声からは
子どもたちにどう話していいのか考える材料が少なく、対応に苦しんでいる
親はしつけまで学校に押し付けようとしている
同僚と「うちの学校でも起きる可能性あるな」と話し合った
報道部の一人が
「私がより深刻に思うのは、弱い物いじめや小動物虐待などの異常行動で
少年がSOSを発しているのに、救いの手を差し伸べられなかったことだ。
特に中学校では、さまざまな問題行動を認識しながら、なぜ家族とも緊密な連携をとり、もっと真正面から向き合えなかったのか」
と書き記していました
この本の発行は1997年です
二年後の1999年に発行された「少年A この子を生んで・・」を読めば、きっと、
ああ こんな両親だったから学校側も手を差し伸べられなかったんだ
と気づいたことでしょう
「少年A この子を生んで」母親の手記
Aには『直観像素質』の力があったことも、事件後初めて知りました。
あの子も自分なりに苦しんでいたのでしょう。
でも、だからといって、人を平気で殺せるのか?
こうも言ったそうです。
「亡くなった人は気の毒。可哀そうだから、(自分の代わりに)親に慰謝料としてお金を被害者に支払ってほしい」
自分が被害者の方々の命を奪っておいて、他人事のように「気の毒」「可哀そう」も何もありません。なんという言いぐさでしょうか。
精神鑑定の結果、精神や脳に異常はない。
あの子は一体、何者なのでしょうか?
一体、何に問題があったのでしょうか?
私たち親は未熟で、Aと確かな絆が結べず、理解してやることができなかった。
そして結局、私は母親としてあの子に何もしてやれなかった。
これから何をしてやれるのでしょうか?
お母さん、してあげられるコトありますよ
二億の賠償金を支払ってあげることです