元少年Aが執筆したと言うこの本
一番最初に母親の手記「少年A この子を生んで」を読んでいたので
うなずける箇所は何点かありました
逮捕された当初の頃、
「この頃の僕は、もう自分で自分をコントロールできなかった。力ずくで誰かに止めてもらうしかなかった。」
「この頃の僕は、『死ぬ』ことよりも『生きる』ことのほうが、何千倍も怖かった。」
「人を殺しても何も感じない自分が怖くてたまらなかった。」
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そして、事件とは無関係ですが、
あ そうだったんだ、と思った箇所が下の部分でした
本には冒頭にA少年と そのお祖母さんの写真が載っていたのですが
「祖母は両の薬指に金の指輪を嵌め、節くれだった指は爪の付け根のあたりから急に折れ曲がっている。働き者の証、”マムシ指”というやつだ。(略)四歳になる少し前だ。」
私の小指も曲がっています
へ~ぇ、マムシ指?働き者の証?
元少年Aに教えられた感じです
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Aは少年時代を回顧します
「いったい何をどう間違えれば、そこからわずか十一年で、あそこまでものの見事に人の道を踏み外すことができるのだろう。
(中略)
「もしかしたら生まれてから十四歳までの、どんな小さな楽しいことも、悲しいことも、そのすべてが、自らの犯した罪にひとつ残らず繋がるよう、あらかじめシステマティックに組み込まれていたのだろうか。すべてが呪われていたのだろうか。いいことも、悪いことも、身の上に起こったあらゆる出来事が、あの取り返しのつかない破局へと向かう邪悪な水路を形成していたのだろうか……。
僕には『思い出』などない。」
そりゃあ、あんな母親に育てられたら 無理もない、と思いました
でも、後述しますが
Aは後でこれとは真逆の文章も書いていました
母親の手記から見えてくる、Aお母さん像
それにピタっとあてはまるのが下の文章でした
(愛犬サスケの死)
「食欲がなくなったサスケの餌はたくさん残った。
母親は『もったいない』と言って、サスケが死んだ後もサスケのお皿に餌を入れて、サスケの小屋の横へ置き、近所の野良猫たちに食べさせた。僕にはそれが気に入らなかった。サスケの餌はサスケのものだ。サスケが死んでもサスケのものだ。」
もう二十年を越します
猿夫から逃げ出し、小さな木造家屋に住んでいた頃
野良猫が狭い敷地に いつも臭~い排泄物を残すのです
近所では無責任に野良猫に餌を与えている住民がいるようで
私は少なからず糞害に悩まされていました
A母親の手記を読んで感じた印象は、無神経な人、でした
でも、後半で少年の記述は様相が変わってきます
「僕は自分のやったことを、母親だけには知られたくなかった。それを知った上で、母親に『自分の子供』として愛してもらえる自信がなかったからだ。でも母親は、僕が本当はどんな人間なのか、被害者にどれほど酷いことをしてしまったのか、そのすべてを知っても、以前と同じように、いやそれ以上に、ありのままの僕を自分の一部のように受け入れ、愛し続けてくれた。『役割を演じている母親』に、そんなことができるはずがない。母親の愛には一片の嘘もなかった。僕が母親を信じる以上に、母親は僕を信じてくれた。僕が母親を愛する以上に、母親は僕を愛してくれた。
あんなに大事に育ててくれたのに、たっぷりと愛情を注いでくれたのに、こんな生き方しかできなかったことを、母親に心から申し訳なく思う。
母親のことを考えない日は一日もない。僕は今でも母親のことが大好きだ。」
うーん?…と唸らざるを得ません
前半では「僕には『思い出』などない。」
と書いていたのに・・
土師守氏との約束をやぶって、この本を執筆したのは2015年
2022年の現在、
その心境も また変わっているかも分かりませんが
当時、A親子に共通する”自覚のない虚言”である可能性も否めないナ
と思っています