三人の子供が まだ乳幼児だった頃
私は よく風邪を引きました
一度 肺炎にまでこじらせて 入院の手配をしてくれた内科医
「アンタ ちゃんと御飯食べていますか?」
私「朝はパンを立ち食い、昼は その辺の残り物、
夜は夕方5時から作り始めて…
子供の相手やら何やらに追われて 口に入るのは夜の9時になります」
内科医「しんどい時は家族の人に手伝ってもらいなさい」
その言葉を聞いて、私は
家事・育児を夫に手伝ってもらってもいい事を知りました
猿夫は言います 「お前は弱い」
彼の言葉は当たっていたかも分かりません
私自身の内科的な甲状腺の病は
老父の認知症に付き合い出して(約17年前) 数ヵ月で始まったので
十年前は 甲状腺の病・豹の病・老父の介護責任
手を尽くしましたが
残念ながら後遺症が残り 現在 見え方に難があります
出始めの液晶テレビみたいな見え方、しかも水中メガネの視界
と表現すれば 当たっているでしょうか…
父と 長女の豹の世話をしながらも ジム通いが趣味だった私から
たった一つの楽しみを取り上げたのが
この甲状腺眼症でした
認知症…長患いした父は
まだまだ 豹が「寝たきり状態」で、
私の斜視手術が終わり 眼の後遺症が固定してから
約一年後に逝きました
老父の人生の終焉に 怖くて寄り添えなかった私
姉は
「もらう物(住戸購入資金)だけもらったら、
後は放りっぱなしにした!💢」
罵倒しました