海(うみ)nanimositeinai’s blog

                             父は私を「素直な子」と言う呪縛で、ひとに歯向かわない女性に育てました。私は猿夫と結婚して「あぁ この人と結婚して良かった♪」と思った事は 且て今まで一度たりともありません。現在は精神疾患を持つアラフォーの長女と 出戻り息子との三人暮らしです。夫の名言【何もしていない】

代弁


「 自分が大事に育てた娘を

山から出て来た猿に盗られる、

そんな感じがする」
これは四十数年前に父が言っていた言葉です
 (ストーリーの❝猿夫❞はこの父の言葉に由来しています)


「将来、海ちゃんが苦労するのは目に見えている」

これは四十数年前に上の姉が言っていました

二人とも、基本的には私の結婚には難色を示していました
そんな父と姉です

今までの猿夫の家庭での態度を聞いて
私の運転するレンタカーに乗り込み
文字通り、村の舅・姑の許まで 抗議に乗り込んでくれました

父:「アンタ方の息子さんは 甲斐性も無いくせに亭主関白過ぎるんだ」

姉は猿夫に面と向かい
私が言いたかったセリフをずばり代弁してくれました

姉:「それほど※注文を付けるなら、他でそんな人を探せばいいのよ」

姉は前々から
私が体調を崩しても 何一つ手伝わない猿夫の様子を知っていたのです


家庭裁判所での離婚調停は
残念な事に 其処でも男優先社会でした

男性調停委員と女性調停委員が双方の言い分を聞くのですが
男性調停委員が進行をリードしていた模様です

男性調停委員は 私の申し立てを
ただの我が儘と感じたのでしょう

2~3回の調停だけで
彼が、 私を説得できない、 と悟ると同時に
すぐに調停不調の手続きに入りました

ただ その最後の調停で
書記官か、裁判官かは分かりませんが
若い男性が ただ一人
私の気持ちを理解してくれていたのを覚えています

「奥さんの気持ちとしては 夫婦が平等な立場で居たいのでしょう?」


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ありがとうございます。
少しずつ読者登録して下さる方が増えたので
ストーリーが解かり易いように補足を入れておきます

猿夫のカッコいい道着姿に一目惚れした私が
前後の見境無く 結婚に及んだのは42年前の事でした

低学歴(中卒)・低収入・普通身長でしたが
「子供好き」と言い アパートでカレーライスを作ってご馳走してくれたので
私は、『きっと優しい人だろう』と見誤ってしまいました

一緒になってからは
家事育児には全く協力しないどころか
明治時代の封建的な考えの基で
数多くの「※注文」を付けてきました

・妻は夫に気遣いするべし
・料理は焼き魚を中心に 一品ずつ油を使わず料理すべし
 みそ汁は具を少なく
 しかも、すぐ食べられる様 膳を揃えておくべし
・弁当は野菜を多く入れるべし
・家は綺麗にしておくべし
・親戚が来た時は料理でもてなすべし

新婚当初から洗濯物の干し方・沢庵の盛り付け方・長芋の切り方にも細かく注文を入れて来ます

ちなみに 猿夫は低収入なので
私もフルタイムだったり パートだったり
臨機応変に仕事をしていました

離婚調停を申し立てた頃は
子供達は・・長女は高卒後パート勤務、
長男 次男は、高校生・中学生でした
当時の猿夫(50歳代)の年収は 額面で300万程度でした