幼い頃の私の生活感は「生きる事は辛い事」と捉えていました
父は寡黙で 愛情表現は下手でした
私は物言わぬ父を恐れていました
喋った事が無いのです
母は 常に「早くしなさい!勉強しなさい!」を繰り返し
愚痴と小言の溢れた生活は 子供の私から見れば
とても苦しそうでした
今だから 解かります
掃除機・洗濯機も無く、かまどで御飯を炊き、お風呂も薪をくべて沸かすのです
子供三人の育児に加え、家族七~八人分の家事は 大変 重労働だったと思います
主婦業+昼間の商売が、長男の嫁である母の仕事でした
祖父が商いを営み、父は上場企業の会社に勤務していました
祖父亡き後は 父は母の協力の元で、二足の草鞋を履いていた事になります
今思えば 本職と復職をこなしていた 経済力のある父でした
猿夫とは比べ物になりません
父も母も、祝日・日曜日 関係なく働いていました