海(うみ)nanimositeinai’s blog

                             父は私を「素直な子」と言う呪縛で、ひとに歯向かわない女性に育てました。私は猿夫と結婚して「あぁ この人と結婚して良かった♪」と思った事は 且て今まで一度たりともありません。現在は精神疾患を持つアラフォーの長女と 出戻り息子との三人暮らしです。夫の名言【何もしていない】

野次馬根性③

杉浦由美子(すぎうら・ゆみこ) ノンフィクションライター(緑文字)

                    (黒文字)/海のツッコミ

事務次官熊沢被告はなぜここまで擁護されるのか

農水省元次官熊沢被告と自殺した2人の若い女性】

 農水省の元事務次官、熊沢英昭被告が今年6月に自宅で長男を殺害した事件の一審判決が出た。執行猶予なしの6年の実刑判決だ。
息子は引きこもり状態であり、家庭内暴力もあったという。
 
 エリート家庭で子供が家庭内暴力を起こしたり、
引きこもったりというのは実によくある話で、
私は一記者としてそういうケースを何度も取材してきた。
 
そして、それらは親の名誉を守るために、徹底して隠蔽されるが、
今回は父親が息子を殺すという刑事事件に発展したことで、
熊沢家の事情は世に晒された。
 この熊沢英昭被告の名前は、以前にもメディアで大々的に取り上げられた。
2001年に日本でBSE(牛海線状脳症。狂牛病とも呼ばれた)に感染した牛が発見された時だ。

 1996年にイギリス政府がBSEと人間の脳疾患との関連性を認めた時に、
熊沢被告は畜産局長として、この問題に対処すべき立場だった。
 
しかし、熊沢被告は「日本では感染はありえない」と主張し、
適切な対応をせず、結果、BSE感染問題で日本は大混乱となった。
熊沢被告は実質的な引責辞任をし、
そして、このBSE問題の際には、
保健所食肉検査係であった獣医師の女性が自殺をしている。

 この女性獣医師は30歳前後で亡くなったが、
熊沢被告の娘もそのぐらいの年齢で自殺をしていることが裁判で判明した。
農水省にて、熊沢被告が深く関わった問題で獣医師が死に、
家庭では娘が自殺している。
ようは公でも私でも30歳前後の女性が被告に関連して死んでいる。

 30歳前後というのは、女性にとって最も良い時期だ。
若く美しいし体力もある。
そして、経験も積んでいるから、
仕事でもプライベートでも充実した生活が送れる頃合いだ。
出産や子育てを経験する時期でもある。
その時期に、自ら命を絶った2人の女性には、相当に大きな絶望とプレッシャーがあったのだろう。

【熊沢被告のメンタルの強さ】

 今回の事件で、やはり、
官僚として次官にまで上り詰めるような人はメンタルが強いなと改めて痛感した。
BSE問題の時も、自分の対応ミスで感染を拡げ、
自殺者まで出したのに、熊沢被告は満額の退職金8874万円を受け取り、
天下り先まで探していた。
天下りはさすがにうまくいかなかったが、
数年後にはチェコ駐在大使になっている。
 
 今回も息子を殺す前に、ネットで「殺人 執行猶予」と検索していたという。
殺す前から、息子の家庭内暴力や自分の献身を訴えれば、
情状酌量で刑務所に入らずにすむのではと調べていたようにもみえる。
「役に立たない人間をひとり殺したぐらいで、この私が刑務所に入るべきではない」という考えがみえ隠れするように思うのは私だけだろうか。
 
 一方、娘はこの父親のしたたかさを受け継げなかった。
彼女が強い人間であったら、実家と断絶し、
事情を理解してくれる男性と結婚することもできたろう。
それができずに彼女は自殺した。
 BSE問題の時の女性獣医師もそうだ。
彼女は食肉処分場で牛の生体検査を担当していた。
牛を目でみて異常がないかをチェックする検査で、
それだけでBSEと判断するのは非常に難しいという。
 
 この獣医師は「自分が検査してBSEと判断できなかったことに責任を感じている」という主旨の遺書のようなものを残していた。この女性に
「目でみただけで感染しているかなんて分かるわけない。私は悪くない」
と開き直れるメンタルの強さがあれば、自殺しなかったはずだ。
強者が弱者を犠牲にしながら生きのびる。
この非情な現実を、今回の事件を通して私は再認識した。

【殺人を犯しても同情される】

 ところがだ。
今回の息子殺しの事件に関して、被告への同情の声が強いのだ。
「僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない。
(中略)僕は熊沢氏を責められない」と投稿した。
 
また、被告の妹は「兄は武士ですよ。追い詰められて、
誰かに危害を加えてはいけないから最後は親の責任で
(長男の殺害を)決めたのでしょう」とコメント。
そして、報道でも、被告に同情する意見が多く見られる。
 また、法廷には被告の農水省の後輩が証人として出廷した。
証人は被告を尊敬し、農水省関係者などから1609通の嘆願書を集めたという。
そして、判決が出た後に検察官が
「お体に気をつけて」と被告に声をかけたという。
検察官がこんな言動をするのは非常に珍しい。
公務員として頂点にいた人への敬意から出た言葉だったのだろう。
殺人罪実刑判決後に異例の保釈もされている。
 
 どうして、熊沢被告がここまで同情され、敬意を払われるのか。
特に農水省の後輩が嘆願書を集めたことは理解できない。
 
仮に後輩たちが常日頃から被告の家庭の悩みを聞いていて、
事情を把握しており、「熊沢さんは父親として一生懸命やっていたんです」
と訴えるならまだ分かる。
だが、この後輩は「熊沢さんからご家庭のことで、相談を受けた人はいらっしゃらない」と述べている。
つまり、家庭内のことはなにも知らなかった。
知らない家庭内で起きた事件を、
「尊敬できる官僚だから情状酌量を」というのは意味が分からない。
職業人としての能力と、家庭人としての能力は別だろう。
   (中略)
 なぜ、この被告は元事務次官だからということだけで、
家庭人としては無能で殺人を犯しても擁護されるのか。

【徹底的な想像力のなさ】

 娘の自殺を 被告や妻は、被害者(英一郎)のせいだという。
被害者のせいで、娘は結婚が破談し、絶望して自殺したという。
だが、100%被害者のせいだったのだろうか。
 
 被害者の生い立ちもわかりやすく悲惨である。
本人のものとされるネット上の発言によると、
成績が下がると母親に大切なおもちゃを壊されるから勉強をしたという。
そして、名門の中高一貫男子校に入り、壮絶ないじめにあう。
いじめは高校に入っても続いたという。
 
 ここで疑問なのは、なぜ、学校を変えなかったのだろうか、ということだ。
中高一貫校でいじめにあった生徒が、
他の高校に進学したり、留学したりすることはしばしばあるのだ。
そういう選択を被告は検討しなかったのだろうか。
被害者は中学から家庭内暴力を振るっていたそうで、
その対象は被告の妻や娘だったはずだ。
  (いいえ、暴力は母親だけが対象でした)
ここでも女性たちが犠牲になっている。
エリート家庭で息子が家庭内暴力を振るい出すと、海外の学校に入れたり、
寮のある学校に入れたりと厄介払いをするケースも見受けられる。
そういう選択を被告は少しでも検討したのだろうか。
 そして、被害者が成人してからも、
被告は主治医以外に家庭内のことを相談していない。
自分の妹にも詳しくは事情を話していない。
なにか問題が生じた時は、多くの人に相談することで、
有益な情報が得られることぐらい、職業人として知っているはずではないか。
一部報道では、
「世間体を考えて相談しなかったのだろう」という主旨の指摘もある。
 
 私が今回の事件で一番気になったのは、
被害者がツイッターで本名を名乗っていた点だ。
  (私 海は、この英一郎氏が本名を出した事
  これが真の殺害動機になったんじゃないか?と思っています
  現に、ネット上で英一郎氏を悩ませていた人物に、元次官が圧力を加え
  黙らせていた件が、英一郎氏のツイッターで述べられています
 
ドラクエ10ステラ神DQX(熊澤英一郎)@hiromi_kanzaki
 
ドラクエ10で嫌がらせで、気分悪くなって食べ物吐いてリアルダウンです。父親がさすがにやり過ぎ、と判断「いい加減、息子につきまとうな!警察沙汰にするぞ!」と一喝してくれました。1年間、リアフレとやめさせようとした努力が、こんな簡単な事で解決するなら、最初から父に頼めば良かったです。
  本来ならば そんな所で職権(?)を行使してはいけない領域でした
  元次官が英一郎氏に実名を出すな と指示したにも関わらず
  彼は応じなかった、《親の顔に泥を塗った》其処が致命傷となった 
  と私は見ています)
 
通常、一般人はツイッターで本名を晒さない。
なぜ本名をフルネームで晒していたか。
それは「俺はあの熊沢英昭の息子だ」と誇示したかったからという指摘もあろう。
 しかし、目的はそれだけではなく、
実は両親にプレッシャーをかけていたのではないか。
自分がなにか問題行動を起こせば、父親の名誉に傷がつく。
両親が自分を見捨てないように、
被害者はネット上で本名を公開していたのではないか。
 
また、近隣の小学校の子供の声がうるさいと被害者が大声で怒り出したことで、
被告は息子がなにか事件を起こすのではと恐怖に駆られたという。
(小学校の子供の声に大声で怒り出した、は 
  あくまでも元次官の供述で第三者の目撃者は居ません)
しかし、実際は、単に親を困らせ、関心を引こうとしたとも推測される。
 
 そして、やはり、この被告は徹底して想像力がなかったのではないか。
被害者が実家のリビングで母親の前で
「お父さんはいいよね。東大を出てなんでも自由になって、(僕の)44年はなんだったんだ」といって号泣したという。
その直後に入ってきた被告が「ゴミを片付けないとな」と被害者にいったという。
 普通なら、優しい言葉をかけたり、一緒に泣いたりするのではないか。
このエピソードを見ると、被告はまるで
ドラマ脚本家が書いた「他者に思いやりや想像力がないエリート男性」の像の典型である。
思うに、この思いやりや想像力の欠如は官僚社会の出世競争では、
プラスに動いたのだろう。
しかし、家庭ではそうではなかった。
結果的に熊沢被告は殺人者となった。
 
二審以降、どんな情報が出てきて、
そして裁判官たちがどう判決をするのか。
注目していきたい。